2020年02月27日
社会・生活
リコー経済社会研究所 顧問
中村 昌弘
羽織っていた白衣の背に「亀の朱印」が押された瞬間、何とも言えない喜びが沸き上がった。四国八十八カ所巡礼の39番札所・延光寺(高知県宿毛市)でのことだ。白衣にはすでに20番札所・鶴林寺(徳島県勝浦町)でいただいた鶴の朱印がある。「これで鶴と亀がそろったな」―。他愛のないことだけど、眺めるたび嬉しさがこみ上げてくる。
「四国八十八カ所巡り」の遍路道
(出所)日本遺産ポータル「四国遍路」
信仰というより興味先行でお遍路を始めたせいか、少々不謹慎ながらも当初は「ゲーム的な要素が強いな」と感じていた。山の頂上や岬の突端といった大自然を縫うように、四国全土に点在する寺院を踏破し、88カ所巡ればミッション成功となる。達成感を味わえる。さらなる高みを求めたい人は、もう1巡目に挑む。さながら、「四国」という名のテーマパークで繰り広げられる体験型ゲームである。
お遍路で寺院を踏破した証となるのが、「お納経」である。一般には御朱印といわれているものだ。お納経は88札所それぞれの名前と番号が印刷された専用の「納経帳」にいただく。墨で本尊や寺院の名前などを書いてもらい、その上に朱印を押されると1カ所クリア。それがまた次の目的地への意欲をかき立てる。まさにスタンプラリーである。朱印は白衣にも押してもらえる。筆者は冒頭の鶴と亀のように珍しい朱印を中心にセレクトし、折に触れては眺めながら満足感に浸っていた。
白衣に押してもらった朱印
納経帳が埋まっていくのが楽しい
回を重ねると、願い事を記して納める納札(おさめふだ)の色も変わる。紙製の札で1巡目から4巡目までは白、5~7巡目が緑、8~24巡目が赤、25~49巡目が銀、50~99巡目が金と、回数に見合った色の納札を購入する。100巡目以上は錦となり、特注する必要がある。この札は見るだけでもご利益があるといわれている。
筆者は今回、ツアーで5回に分けて88カ所を回り、納経帳が埋まるのに計20日かかった。結願後に納経帳を見返すと、「この寺に行く道はきつかったな」「ここからの眺めはよかったな」「この寺はあまり時間が取れなくてもう一回きちんと参拝したいな」―などと次から次に記憶がよみがえり、頭の中は既に「思い出のアルバム」と化している。
その道中でとりわけ思い出深い場所をいくつか紹介したい。まず、事前リサーチで是非行きたいと思っていたのが、高知県室戸岬の近くにある御厨人窟(みくろど)という洞窟だ。知恵を授かる仏様「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」の真言を1日1万回、100日間唱えて心身を鍛える荒行に入った弘法大師が、光り輝く明星を口から体内に迎えて開眼。洞窟の中から見えた風景が空と海だったので、「空海」の法名を得たと伝えられる場所である。
御厨人窟はお遍路で2番目の長丁場であり、75キロ離れた23番札所・薬王寺(徳島県美波町)~24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ、高知県室戸市)間に位置し、薬王寺からは約70キロの地点にある。お昼時に到着した筆者の目に飛び込んできたのは、広大な太平洋とその上に広がる青い空。そして山側に目を移すと、暗い洞窟が口をぽっかり開けていた。「ああ、ここだ!ついに空海修行の聖地に来た。ここに来てこそのお遍路だ」―。入り口を眺めていると感激で胸がいっぱいになった。
御厨人窟の隣に立つ石碑(注)洞窟内の立ち入りは安全のため許可が必要です。
道中では、ガイド役の先達さんから弘法大師にまつわる逸話もたくさん教えてもらった。例えば、73番札所・出釈迦寺(しゅっしゃかじ、香川県善通寺市)から望む「捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)」と呼ばれる断崖絶壁。仏門の道に入ることを願い、大師が7歳のとき身投げしたところ、釈迦如来と天女が現れてこの場所で抱き止めたという伝説がある。
また、36番札所・青龍寺(しょうりゅうじ、高知県土佐市)は、弘法大師が修行した唐の都・長安にある寺院と同じ名前。恵果和尚から真言の秘法を授かった空海が帰国の際、日本に向かって「独鈷杵(とっこしょ)」という杵(きね)に似た形の仏具を投げ、当地に着地。大師が和尚の恩に報いるため、同名の寺院を開いたと伝えられる。
ほかにも「空海伝説」に深くかかわる場所は数々ある。ゆくゆくはこうした伝説を自分で丁寧に調べ上げ、訪れるのも面白いと思っている。
ところで、この青龍寺は山門からの石段がそびえたつ壁のよう。170の石段はとてもではないが、一気には登りきれなかった。それが中高生の運動部の鍛錬にぴったりということで、若き日の元横綱・朝青龍さんは高校時代にここでトレーニングを重ねたという。「空海伝説」を訪ねながら、さまざまなエピソードに触れられるのも実に楽しい。
お遍路の魅力はほかにもある。88カ所には薬師如来を本尊に祀っているお寺が多く、眼病や子宝、長寿など健康に関わるさまざまなご利益があるとされる。そもそも寺院の広い境内を歩いて、きつくて長い石段を登り降りするだけでいい運動になる。遍路道を歩くのはハイキングやトレッキングと同じであり、健康のためにお遍路を始めてみるのもお勧めだ。実際、今回のツアーの参加者は筆者(64)より高齢の人がほとんどで中には80歳代の人もいたが、皆健脚でびっくりした。
健康によいといえば、お遍路は体に効くだけでなく「心の栄養」にもなる。道中ではバラエティに富んだ四国の風景や風物に出逢えるからだ。例えば、10番札所・切幡寺(徳島県阿波市)から11番札所・藤井寺(徳島県吉野川市)に向かう途中の川島潜水橋。四国一の大河で「暴れ川」の異名を取る吉野川にかかる長さ285メートルの橋だ。増水時に沈下しても流されないよう、潜水橋には欄干が設けられていない。このため、上から見ると川にへばりつくように見える。渡ってみると、川面からの風が直接吹き付けて心地よかった。
増水時には水面下に沈む川島潜水橋
87番札所・長尾寺(香川県さぬき市)から最終地点の88番札所・大窪寺(同)に向かう中、目にした池の風景も忘れられない。田園の山道から突然、開けた水面に森の緑が目の中に飛び込んできた。最後の難所といわれる山登りに備えていたため、意表を突かれたのも思い出深い理由かもしれない。
池の水面に映り込んだ森の風景
このほか、アカウミガメの産卵地として知られる大浜海岸(徳島県美波町)に立ち寄ったり、夜の自由時間には高知城(高知市)や今治城(愛媛県今治市)のライトアップ、道後温泉(松山市)や阿波おどり会館(徳島市)を見物したりと、観光名所をいくつも楽しんだ。また、宿坊に泊まりお勤めに参加するのもよい体験だった。6番札所・安楽寺(徳島県上板町)では、くす供養というお勤めがあり、とても貴重な体験ができた。他言無用なので詳しく説明できないのが残念である。
ライトアップされた今治城
こうして振り返ると、お遍路には体験が存分に詰まっている。今風の言葉で言えば究極のコト消費だろうか。これからも願掛けや供養といった信仰を「縦糸」にし、歴史探訪やパワースポットめぐりなどの観光とハイキング、トレッキングといった健康を「横糸」にしながら、自分模様の思い出を心の中に織っていきたい。ふと気が付くと、奥深いお遍路というゲームの魅力にますますハマっている自分がいる。
(写真)筆者
中村 昌弘